2026. 5. 25 従業員の「病気と離職」が招く、組織の危機
―今年4月に始まった「通院しながら働ける環境づくり」を確かな強みに変える方法―
「第12回 協会けんぽ調査研究フォーラム」2026年5月13日
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/disclosure/statistics/forum/no12
【その欠員、補充にいくらかかるかご存じですか?】
組織を率いる方々にとって、共に働く従業員は単なる「働き手」ではないはずです。
長年一緒に苦楽を共にしてきた大切な存在であり、組織の「宝物」そのものです。
しかし、もし今、現場の要となっている若手や、技術を支えるベテランが、突然「うつ病」や「がん」などの病気にかかって休職し、そのまま辞めてしまったら……。
組織にとってどれほどの痛手になるか、想像してみてください。
新しい人を雇うための求人費用、一人前に育てるまでの時間とコスト、何より、その人が持っていた「目に見えない技術やノウハウ」が消えてしまうこと。
これらを合わせると、実は1人が離職するごとに、給料の数倍、数百万円から下手をすれば一千万円単位の「目に見えない大きな損失」が発生しているのです。
人手不足がこれほど深刻な時代、従業員の健康に気を配ることは、決して余裕のある一部の組織だけがやる「贅沢な福利厚生」ではありません。
「大切な人材を守り、組織を長生きさせるための、最も確実な投資」なのです。
さらに、大きな節目となっているのが2026年4月1日に施行された法律(改正労働施策総合推進法)です。
これにより、すべての事業主に対して「病気になった従業員が、治療をしながら仕事を続けられるように手助けをしてください」というルール(努力義務)がすでに課されています。
これに対応できない場合、法律上のリスクだけでなく、「人を大事にしない職場」という評判が立ち、ますます人を採用できなくなってしまいます。
結果として、組織の価値は大きく低下していくことになるでしょう。
今回は、先日発表されたばかりの「協会けんぽ」の最新データをもとに、今すぐ取り組むべき対策を分かりやすくお伝えします。
1. 今すぐやるべきは「辞めずに済む仕組み」作り
今、現場の舵取りを行う上で真っ先に取り組むべきことは、従業員が病気になっても、職場を辞めずに働き続けられる体制を作ることです。
特に、「20代〜30代の若い世代の心の健康対策」には、今すぐ手を打たなければなりません。
すでに義務化への流れが始まっているこれからの経営では、病気や心の不調を抱えた人を諦めるのではなく、「どうすれば働き続けられるか」を考えることが、組織の持続可能性を決めます。
早いうちにこの仕組みを作っておけば、「この職場は人を大切にしてくれる」と信頼され、優秀な人材がずっと残ってくれるようになります。
2. 「心の病」で休んだ人の6割が辞めている現実
なぜ、そこまで危機感を持たなければいけないのでしょうか。
それは、心の病気(うつ病など)で休業した人のうち、なんと約60%がそのまま退職してしまっているという、衝撃的なデータがあるからです。
「協会けんぽ京都支部」が調べた最新のデータ(2020〜2023年度)によると、心の病で健康保険の傷病手当金をもらった人の約6割が、復帰できずにそのまま組織を去っています。
しかも、この問題はこれからの現場を背負って立つはずの「20代・30代」の若手に一番多く見られるのです。
ただでさえ若い世代の確保が難しい今、これは致命的な打撃となります。
また、形としては籍が残っていても、体調が悪いまま無理をして働いているせいで、本来の半分も実力を発揮できていないという「隠れた業務損失」も無視できません。
これが職場の生産性を引き下げ、利益をじわじわと削り落としていくのです。
一方で、希望になるデータもあります。
協会けんぽに対して「我が社は従業員の健康づくりを応援します」と宣言する『健康宣言』を出している職場は、出していない職場に比べて、病気から戻ってきた人の離職率がはっきりと低いことが分かっています。
トップが「従業員の体を一番に考える」という姿勢を明確に打ち出すだけで、働く人々は大きな安心感を得られます。その安心感こそが、組織の価値を守る防波堤となるのです。
3. 規模が小さい現場ほど、病気が「即・退職」に繋がりやすい
国や協会けんぽの調査から、私たちが気をつけるべきポイントが見えてきました。
① 「健康宣言」をするだけで、人が辞めにくくなる
データを詳しく分析したところ、働く人の年齢や性別に関係なく、「健康宣言をしている職場」の方が、明らかに退職が少なくて済むことが証明されました。
上に立つ者が健康への姿勢を示し、全体で「休んでも戻ってこられる席がある」という雰囲気を作っているからこそ、安心して職場に戻ってこられるのです。
② 組織の規模でこれほど違う「復帰率」
産業医科大学の永田准教授らの研究で、女性のがん(子宮頸がん)にかかった従業員が、どれくらい職場に戻れているかを調べたデータがあります。
スタッフが30人〜49人いる規模では約52%の人が戻れているのに対し、10人未満の小さな規模では、わずか18%の人しか戻れていないのです。
人数が少ない現場ほど、「代わりの人間がいないから、休まれると困る」となりがちで、それがそのまま退職に繋がってしまっています。
ですが、「人数が少ないから仕方がない」と諦める必要はありません。
協会けんぽや、国がサポートしてくれる「産業保健総合支援センター(さんぽセンター)」などの外部の専門機関を頼れば、小規模な組織でも、周りに過度な負担をかけずに休職から復帰させる流れを作ることができます。
③ 一人ひとりの「言い出しにくい悩み」に耳を傾ける
秋田大学の野村教授らの研究では、女性の「更年期障害」による体調不良や気分の落ち込みが、退職の大きな引き金になっている可能性が示されました。
また、治療が長引く病気の場合、男女の差というよりも「病気によって収入が下がってしまう不安」から辞めてしまうケースが多いことも分かっています。
若手、ベテラン、男性、女性、それぞれ抱える病気や生活の悩みは違います。
一律のルールで縛るのではなく、その時々で「何か困ったことはないか」と個別の状況に寄り添う姿勢が求められています。
4. 「病気に負けない組織」への第一歩
いろいろとお話ししてきましたが、今すぐやるべきことはシンプルです。
まずは協会けんぽに「健康宣言」を出し、外部の専門家の力を借りながら、「万が一、従業員が病気になっても、困らずに対応できる休職・復帰のルール」をあらかじめ決めておくことです。
これは決して、無駄な「コスト(費用)」ではありません。
大事な人材を守り、将来かかるはずだった何百万円もの採用費や教育費を先回りして防ぐための、立派な「リスク管理」なのです。
働く人々が「この組織は、自分が倒れても見捨てずに守ってくれる」と確信したとき、職場への深い信頼が生まれ、これまで以上のやる気と素晴らしい生産性を発揮してくれます。
まずは、自社で過去にどれくらい病気での休み(傷病手当金の申請など)があったか、振り返ることから始めてみてください。
5. 多様な働き方を認めることが、これからの「事業変革」に化ける
ここまで、病気による退職をどう防ぐかという「守りの対策」を中心にお伝えしてきました。
しかし、この取り組みを進めた先には、実は組織をガラリと生まれ変わらせる「攻めの変革」が待っています。
「病気になっても辞めなくていい環境」にするということは、言い換えれば「フルタイムでバリバリ働けない人であっても、その高い能力を存分に活かしてもらえる職場」を作るということです。
これまでは、「朝から晩まで健康に働ける人」だけを前提に現場を回してきたかもしれません。
しかし、これからの時代は変わります。
- 通院のために週に数日、短時間しか働けなくても、現役時代と変わらない最高の技術を後輩に伝えてくれるベテラン
- 自宅でのリモートワークや柔軟な勤務時間を活用し、治療や介護をしながら組織を支えてくれる優秀な若手
このように、「一人ひとりの事情に合わせた多様な働き方を認め、それぞれが持てる力を100%発揮してもらう仕組み」を作ることこそが、深刻な人手不足を生き抜く唯一の切り札です。
働く時間や場所に縛られない、しなやかで強い組織に変革できたところだけが、これからの激動の時代に、他社には真似できない強みを持つことができます。
従業員の健康を守ることをきっかけに、これまでの働き方そのものを見直し、次の時代へ向けた力強い事業変革の一歩を、今こそ一緒に踏み出してみませんか。



